2025.8.31に大変残念ですが、閉店しました。
和っしょい誕生の秘話、歴史、店名の由来など、皆さんにゆっくり話したことが無かったので、この機会にお話させていただきます。
長いですが、是非、ご覧ください。。
-------------
私は学生の頃から飲食に興味があったようで、就職活動中も大手外食企業を何社か受けてました。
最終的に、医療系の大企業に就職、それから何社か転職をして、最後は人材派遣会社で営業担当の仕事をしてました。そんな中、派遣先社員が欠員となり、営業担当の私が身代わりで現場に投入されました。その職場が暇すぎて定時あがり残業ゼロ。このまましばらく抜けられそうになく、、
「このまま居たらダメ人間になってしまう。このまま自分の人生が終わってしまう」と夢であった飲食店開業を決意しました。
それから暇な日中はインターネットでコンセプト、資金計画、焼き鳥屋運営、タレの作り方、メニュー選定とレシピ研究など練りに練りました。
そして、定時で仕事が終わるので、仕事終わりに、大手町の老舗焼き鳥屋と秋葉原の焼き鳥屋2店舗で約2年間アルバイトをしました。毎日、終電まで働きました。家に帰るのは1時を回ってましたが、日々、新しい事を教えてもらえるのでとても楽しかったです。
毎週、日曜日にはこれまたご縁で知り合いから紹介してもらえた、武蔵小山の焼き鳥の名店「うち田」で串打ちを教えてもらってました。
お店の準備は現在の店舗が10年以上空き家で老朽化してましたので、大掃除と補修からスタート。備品搬入等を週末に少しずつ進めて、役所の申請などは有休を取って準備を進めてきました。数か月かかりましたが、2015年3月10日。なんとか開店までこぎつけました。
夢は見るものではなく、叶えるものだ!と自分に言い聞かせて頑張って、本当にそうなり嬉しく思いました。
昼間の仕事をしながらですので、最初の頃は週一回しか店に顔を出さず、父をメインに、初期メンバーのお姉さま方をペアに、曜日当番制でお店を任せてました。これが今の和っしょいスタイルとして定着しました。よく、父から引き継いだ二代目と勘違いされますが、実は最初から私の店でしたが、しばらく、父に店の運営を助けてもらっておりました。
お店の名前は「和っしょい」にしようと決めてました。ずっとお神輿をやっている潤ちゃんから聞いた話から名付けました。
お神輿を担ぐときに掛け声でワッショイというのは、担ぎ手の「輪」が「一緒」にならないと神輿は上がらない、一人サボっても傾いて上がらない、「輪」が「一つ」になったときにワ、イッショ→ワッショイになるみたいです。とてもいい話だなぁと思いました。自分の店も、一見さんも、常連さんも、地元の年配の方も若い人も、知らない人も、知ってる人も、みーんな、楽しく仲良く飲んで、大きな輪になってみんなでワッショイ!って一つになって元気出して、あ~楽しかった。さぁ、明日も仕事がんばろ~って、そんな店にしたくて名付けました。「輪」=和です、そう、大きな和、愛和、親和です。笑顔と愛であふれる明るく楽しい店にしたい。
自分が育った大好きな大和だから「和」も入れて、
父の名前から一文字もらって「和」も入れて、
そんな理由で「和っしょい」と名付けました。
今では、開店当初はとても想像できないほど、皆んなの輪(=和)がどんどん大きくなって、名前どおりの自分の理想の店になってます。
開店当初は経営も厳しく、毎月赤字で、1年目、2年目はいつ店を閉めるかなんて両親とも話してました。
でも、スタッフの方々も居るし、すっかり定着した地域の憩いの場をこちらの都合で閉めるわけにはいかないと言い聞かせて、両親とも力を合わせて乗り越えてきました。
私の昼間の仕事を、正社員から個人事業主契約に変更してもらい、徐々にフェードアウトさせながら、お店に立つ日を週2回、3回と増やしていき、最終的に退職して焼き鳥一本に完全にシフトしました。
今年3月に10周年を迎え、経営もようやく黒字が出せる体制になり、県の助成金を活用して投資、厨房機器を新調した矢先、さぁ、これから!という時に大家さんから立ち退きの話を聞かされ落ち込みました。まさかこのような展開になるとは予想もしてませんでしたが和っしょいは10年目で閉店する事にしました。
振り返ってみますと、アッという間の10年でした。
お客様もいい方ばかり集まり、愛和で満ち溢れる、店名のとおりの楽しい和っしょいが毎日ありました。
そんな和っしょいに居る時間が私は一番好きでした。
皆さんに感謝しかありません。
今回は10年目で一旦閉店という苦渋の選択になりましたが、チャンスがあれば不死鳥のごとく復活したい気持ちはあります。今はいろいろ充電期間として、チャンスをうかがう事にしたいと思っております。
PS)メッセージ等、メール・LINEで受け付けてます!
皆さんもお元気で!!